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千葉地方裁判所 平成9年(ワ)2550号 判決 2000年6月12日

主文

一  被告瀧川化学工業株式会社は、原告に対し、金五一〇万円及び内金二〇〇万円に対する平成九年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告Aは、原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する平成九年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告に生じた費用の一〇分の三と被告瀧川化学工業株式会社に生じた費用を同被告の負担とし、原告に生じた費用の一〇分の一と被告Aに生じた費用を同被告の負担とし、原告に生じたその余の費用は原告の負担とする。

五  この判決は一項及び二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  原告が被告瀧川化学工業株式会社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告瀧川化学工業株式会社は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに平成九年一二月一七日から毎月末日限り月額三一万円の割合による金員を支払え。

三  被告Aは、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、日本での在留資格を有し、日本国内に在住する日系ブラジル人であり、被告瀧川化学工業株式会社(以下、「被告会社」という。)に雇用され、その市川工場に勤務していた原告が、被告Aの経営する市川東病院で被告会社の定期健康診断を受けた際に、原告の同意なくHIV抗体検査が行われたことにつき、被告会社については、原告に無断でHIV抗体検査の依頼をし、検査結果が記載されたHIV検査報告書及びHIV検査証明書(以下、併せて「検査結果票」という。)を受けとるなどの行為が、被告Aについては、原告に無断でHIV抗体検査を行い、その検査結果票を被告会社に交付するなどの行為が、原告の情報プライバシー権を侵害するものであり、右行為により多大な精神的苦痛を受けたとして被告会社及び被告Aに対し、慰藉料の支払を求めるとともに、被告会社に対し、原告は、HIVに感染していることを理由に、被告会社に不当解雇され就労できなかったものであり、現在においても雇傭契約上の地位を有するとして、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認と賃金の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実等(証拠を摘示したものは当該証拠により容易に認定できる事実である。)

1  当事者

(一) 原告は、日本での在留資格を有し、日本国内に在住する日系ブラジル人であり、HIV感染者である。原告は、自己がHIVに感染していることを知っており、以前から治療を受けていた。

(二) 被告会社は、プラスチック・フィルムの製造販売等を行う会社である。

(三) 被告Aは、市川東病院の名で病院を営む者である。

2  事実経過

(一) 平成九年九月一五日、原告は、被告会社市川工場への採用が決定し、同月一七日に雇用契約を結んだ(以下、「本件雇用契約」という。)。

雇用期間に関しては、契約締結日から一年間とするが、契約期間満了後、さらに一年ずつ更新することができ、原告、被告会社いずれかが更新を希望しないときは、期間満了の日の二か月前までに各相手方に通知するものとされていた。

(二) 原告は、同日から、製品の梱包作業の労務に従事するようになった。

そして、同年一〇月二一目午後八時から翌二二日午前八時まで、原告はプラスチック・フィルムの原料である糊を空けた缶をプレスする作業に従事したが、仕事を終えた後、国立国際医療センターで診察を受けた結果、有機溶媒による肺炎の疑いで同月二八日まで同病院に入院した(甲六、二五の1・2)。

原告は、同月二九日から再び仕事に就いたが、その後は、製品の梱包と製品の図柄等を合わせるため製品を巻き直す作業に従事した。

なお、原告は、同年一二月六日午前七時三〇分ころ、オートバイでの通勤途中に乗用車と衝突事故を起こし、頸椎捻挫、腰部打撲等の傷害を負って同月一四日まで欠勤した(甲九の1・2、弁論の全趣旨)。

(三) 原告は、同年一一月五日、市川東病院で、被告会社の定期健康診断を受けた。被告会社は、原告の同意を得ずに、市川東病院に原告のHIV抗体検査を依頼し、同病院は、原告に右検査をすることを告げず、原告の意思を確認することなく、血液を採取し、HIV抗体検査を行った。

市川東病院は、被告会社に対し、健康診断結果報告書とHIV抗体検査の結果が記載された検査結果票を交付した。

(四) 原告は、同月二八日午前九時三〇分ころ、被告会社総務課長Bに事務室まで来るように呼び出され、事務室で、Bから検査結果票を示された。その際の原告とBの会話の内容については、原告と被告会社の主張が食い違っている。

また、同月二九日、被告会社は、健康診断結果報告書を従業員に手渡したが、これには健康診断の結果が記載されており、縁の部分のミシン目を破って開かなければ内容を見ることができないようになっている。

(五) 同年一二月一日、原告の申入れにより、原告とBが事務室で面接し、同月一六日午前八時すぎにも、原告はBと事務室で面接したが、その各内容についても原告と被告会社の主張が食い違っている。

(六) 原告は、同日以降、被告会社で就労しておらず、平成一〇年七月一二日、被告会社は原告に対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨通知した。

三  争点及びこれに対する当事者の主張

1  情報プライバシー権侵害について

(原告の主張)

(一) 原告の主張する事実の経過

(1) 平成九年一一月五日の定期健康診断の際、原告と同年齢の従業員からは注射器一本分の血液しか採取しないのに、原告だけ五本分も採取され、看護婦に理由を尋ねると、肝臓の検査だけであるとの答えであった。

(2) 同月二八日、原告は、Bに呼ばれ、事務室まで行った。Bは、原告に対し、これはどういうことだと言って、+と表示された検査結果票を示し、これはまずい、あなたには仕事を辞めてもらうと言い、なぜ最初から言わなかったのかと原告を非難した。これに対し、原告は、会社が勝手に検査することは許されず、原告の健康状態からすれば仕事に影響がないので、医師からも会社に説明する必要はないと言われていた旨反論し、検査結果票を手に取ったが、すぐにBに取り返された。Bは、自分に全く非はないという態度で、原告を辞めさせる考えを撤回する様子もなかったが、原告が、これからテレビ局へ行く、ブラジル領事館へ行くと言うと、Bはあわてて今言ったことは忘れてくれと頭を下げて謝ったので、原告は仕事に戻った。

(3) 同月二九日、原告が被告会社から渡された健康診断結果報告書にはミシン目がなく、糊で貼ってあり、被告会社の者が事前に開けて内容を見たとしか考えられなかった。同報告書には、詳しい検査結果データが記録されており、エイズ治療のため原告の肝機能(GOT、GPT)が通常人に比べて悪化していることも数値ではっきり示されている。

(4) 同年一二月一日、原告は、Bに検査結果票の引渡しを求めたが、断られ、また、健康診断結果報告書が事前に開披されていたことについても抗議したが、説明も謝罪もなかった。

(5) 同月一六日午前八時すぎ、前夜からの仕事が終わったところで、原告は、Bに事務所に来るように言われた。事務所に行くと、Bは前記交通事故の様子について尋ね、原告が説明すると、唐突に今日で仕事を辞めてくれと言い、原告の胸ポケットからID力ードを取り上げ、作業衣を置いていくように指示して、原告を解雇する旨の意思表示をした。原告は、工場長に真意を確かめようとしたが、工場長は言葉を濁し、近くを通りかかったC社長も取り合ってくれず、やむなく原告は自宅に帰った。

(二) 被告会社の責任

以上の被告会社の行為は、原告に対する不当解雇であるとともに、以下のとおり原告の情報プライバシー権を侵害するものであり、原告が、被告会社のこれらの行為により受けた精神的苦痛は極めて重大で、その被った損害は少なく見積もっても一〇〇〇万円は下らない。

(1) 個人の医療情報は、他人に知られたくない情報であるから、本人の同意を得ずに第三者が勝手に医療情報を収集したり、利用したりすることは許されない。その中でも、特にHIV感染事実については、まだ社会的な偏見差別が続いている今日の日本にあっては、他の医療情報以上に特別な配慮が必要である。そして、HIV抗体検査は、当該個人がHIV感染をしているか否かという情報を収集する手段であるから、被検査者本人の意思に基づいて行われ、その検査結果は本人にのみ告知されるべきである。

しかるに、被告会社は、①原告の意思を無視して原告のHIV抗体検査を病院に依頼し、②原告の意思を無視して検査結果票を受取り、③原告が検査結果票の引渡しを求めたのにこれを拒否し、④原告に無断で原告の健康診断結果報告書を開封した。

しかも、被告会社は、原告に無断でHIV抗体検査をしたことや、原告の健康診断結果報告書を勝手に開封したことについて、全く反省謝罪していない。また、原告は、Bに検査結果票を示されたときに、自分がHIV感染をしていることにショックを受けることはなかったが、被告会社が無断でHIV抗体検査をしたことに対し、強い不信感を抱かざるを得なかった。さらに、Bは、被告会社に当然報告すべきことを原告が意図的に隠し、被告会社を騙して原告を採用させたかのような強い非難を含む言い方をし、HIV感染者を犯罪者扱いした。その上、平成九年一二月一六日には、Bが一方的に原告のIDカードを取り上げ、作業衣等の返却を指示するという、原告にとって屈辱的な方法で、被告会社は原告を解雇した。

(2) 被告会社は、HIV抗体検査の目的は、不注意による出血等に備え、人員配置に反映させるためであり、原告の健康状態が思わしくなかったことに配慮したものである旨主張する。しかし、出血事故に対する危険防止をいうのであれば、検査を行うことを本人に秘匿する必要はないばかりか、従業員に対して積極的に説明し、かつ感染防止のための教育を施してこそ、その目的が全うされるはずである。むしろ、本件で行われたHIV抗体検査は、外国人に対する不当な偏見と差別に基づき、HIV陽性の外国人労働者を排除する目的でなされたものと推測される。

また、被告会社は、原告に無断で検査を依頼したことについて、病院から承諾を取らなくても検査ができるものと誤解したためであると主張するが、被告A側は、そのような説明はしていないとしており、この点に関する被告会社の主張が事実とは考えられない。

(三) 被告Aの責任

被告Aの行為は、以下のとおり原告の情報プライバシー権を侵害するものであり、原告が、被告Aの行為により受けた精神的苦痛は極めて重大で、その被った損害は少なく見積もっても一〇〇〇万円は下らない。

(1) 前述のように、HIV抗体検査は、当該個人がHIV感染をしているか否かという情報を収集する手段であるから、被検査者本人の意思に基づいて行われ、その検査結果は本人にのみ告知されるべきである。

また、労働者の健康管理を担うべき産業医は、労働者の健康管理に関係するプライバシー情報を収集・管理する立場にあるものとして、そのプライバシーの保護には細心の注意を払うべき義務を負っている。

しかるに、被告Aは、①原告の意思を確認しないで、被告会社からの原告のHIV抗体検査の依頼を引き受け、②原告の意思に基づかないで、HIV抗体検査のための血液採取を行い、③検査結果票を、原告ではなく被告会社に引き渡した。

しかも、被告Aが、患者の情報プライバシー権を尊重するという立場を守っていれば、原告が被告会社から屈辱的な思いをさせられたり、解雇されたりすることもなかったはずであるのに、被告Aは、被告会社からの無断検査の依頼を安易に引き受け、原告には肝機能検査だけだと嘘をつき、HIV抗体検査結果を密かに被告会社に報告したのである。

(2) 被告Aは、被告会社が原告の同意を得ているものと誤解したために、原告の承諾を得ずに検査を行い、その結果を被告会社に報告した旨主張する。しかし、以前から、市川東病院においては、被告会社に雇用された外国人労働者に対して、HIV抗体検査が毎年のように行われていたこと、血液採取の際にも、意思確認やカウンセリングが行われておらず、不審に感じた原告が血液を注射器五本分採取した必要性について看護婦に聞くと、肝機能の検査だけである旨曖昧な返答をしたこと、被告会社に直接検査結果票を交付するなどHIV抗体検査を行ったことを原告に対し秘密にしたことに鑑みると、被告Aは、被告会社の外国人労働者排除の意図を知り、もしくは極めて容易に知り得べき状況の下で、HIV抗体検査を行っていたのである。また、仮に原告の承諾があると信じていたとしても、被検査者と検査の依頼主が同一でない場合において、本人の同意書も、会社に対する指示書もないのに、単に会社が本人の承諾を得ていると信じていたというのは、それが真実であっても、医療従事者として重大な過失であり、悪意と同視すべき違法性がある。加えて、検査結果の告知の方法やカウンセリングの重要性に鑑みれば、第三者に検査結果のみを記載した書面を渡すことは、告知の方法としてあってはならないものであることからすれば、承諾があると信じていたとしても、本件プライバシー侵害行為の違法性は、軽減されうるものではない。

(被告会社の主張)

(一) 被告会社の主張する事実経過

(1) 平成九年一一月二八日、Bが原告を呼び出したのは、Bは、市川東病院からの通報で原告がHIVに感染していることを知ったが、原告自身が感染の事実を知っているとは思っていなかったので、原告のためにHIVに感染していることを伝え、何らかの対策を打たせようと考えたからである。しかし、BがHIV感染の事実を伝えたところ、原告が右事実を知っていたので、Bは、奥さんは知っているのか、奥さんと相談するためにもブラジルに帰った方がいいのでないかと聞くと、妻も知っているという答えであった。そのうち原告は、自分の手を首にあててクビか、クビかと聞き出したので、Bは、クビではないと答えたが、原告がそのような尋ね方をした理由について、一方では、妻と相談のためブラジルヘ帰ったらどうかというBの言葉から解雇されるかもしれないと感じたためではないかと思ったが、他方、自分が感染者だということを知られて会社にいづらくなったと考えたためと見られる節もあった。そこで、Bが、ほかの会社に移りたいのかと聞いたところ、原告は移りたいという返事であった。ところが、突如、原告は、クビならイミグレーションに行くと言い出したので、Bは、全くの勘違いだ、クビの話なんかではない、心配するなと再度告げ、このままこの会社で働きたいのかと聞くと、この会社で働きたいとの答えであったので、職場に戻した。

検査結果票は、その際に原告が自分で机の上に置いていった。

(2) 被告会社が、同月二九日に、健康診断結果報告書を手渡す前に、事前に開けて内容を見た事実はない。被告会社には、各人の検査結果が一覧表としてまとめられたものが市川東病院から渡されるので、検査結果はこれによって知り得るから、敢えて各人宛の報告書を開けて見る必要はない。

(3) 同年一二月一日、原告の申入れにより、Bは原告と面接した。原告は、Bに、HIV感染がいかに安全で危険でないかを説明し、医療センターの医師がそのことを話してくれるから電話をかけて欲しいと言ったが、Bは、日常生活をする上での安全性については十分分かっているので心配しなくていいと答え、面接を終わった。

(4) 同月一六日、Bと原告が面接したのは、年末調整手続が原告分だけ、交通事故による入院で遅れており、その手続を進めるため総務課に呼び出されていた原告に偶然Bが出会ったからであり、Bがあらかじめ意図していたものではない。

原告は、極めて簡単な梱包作業と掃除以外はできず、作業中のミスも少なからずあり、無断欠勤をするほか、アレルギー体質のためか通常人の耐えうる仕事にも容易に耐えられず、さらに交通事故を起こして欠勤するなど、被告会社における勤務評価が著しく低いものであったところ、当時、被告会社は、いわゆるリストラを考えざるを得ない状況に立ち至っており、原告もその対象者に組みいられていたことから、Bは、このような事情は事前に本人に教えておいた方が本人のために良いのではないかと考えていた。そこで、Bが、原告にその旨を話したところ、原告は、リストラ対象は自分だけかと聞いてきたので、Bは、あなただけではないと答えた。しかし、原告は、やめるなら今日やめると言って、自分の胸ポケットからID力ードを取り出し、机の上に置いて出て行ったのである。

この時、被告会社の工場長は、別室で打ち合せ中であり、原告には会っていないし、社長は、原告と面識がない。

また、被告会社では、外国人に対して解雇の通告をする場合、誤解等が生じて、後に問題を残さないように、必ず通訳を立ち会わせてこれを行うことにしており、Bが当日通訳を立ち会わせずに、解雇通告をすることはあり得ない。

(二) 被告会社の責任について

(1) 被告会社は、原告の同意を得ずにHIV抗体検査を依頼し、検査結果票を受けとった。しかし、被告会社が検査結果票の引渡しを拒否したことはなく、健康診断結果報告書を開封したこともない。

また、被告会社は、以下に述べるとおり、原告の同意を得なくともHIV抗体検査を病院に依頼することができるとの認識であったため、原告に対し謝罪はしていないが、BがHIV感染の事実を伝えたのは、原告や原告の家族を案じたためであるし、原告を解雇した事実はないのであるから、原告に対し非人道的対応などは全く行っていない。

(2) 被告会社は、原告の同意を得ずにHIV抗体検査を依頼し、検査結果票を受け取ってはいるが、それは、かつて市川東病院のD事務長から、本人の同意を得なくてもHIV抗体検査をすることができるが、後のことを考えると同意を得ておいた方が好ましいとの説明を受け、本人の同意を得なくてもHIV抗体検査ができるものと誤解していたため、無断で検査を依頼したという認識に欠けていたことによるものである。

また、被告会社がHIV抗体検査を行ったのは、被告会社では工場で機械を扱うため、不注意による出血事故には十分な対策を備える必要があり、しかも、原告は、前述のとおり健康状態を理由として欠勤するなど勤務状況が好ましくなかったことから、従業員の健康保持及び配置検討の際の資料を得る必要があったためであり、外国人労働者を排除する目的で検査を行ったものではない。

(被告Aの主張)

(一) 被告Aは、原告の意思を確認しないで、HIV抗体検査の依頼を引き受け、これを行い、検査結果票を被告会社に交付した。しかし、HIV抗体検査のための血液採取量は、注射器二本分で足りるから、原告から五本分の血液を採取したことはなく、また、看護婦が肝臓の検査だけだと言ったこともない。

(二) 被告Aは、原告の意思を確認しないで、HIV抗体検査を行ってはいるが、それは、以下の事情から、原告の同意を得ていると誤解したからである。すなわち、平成九年一〇月二八日、被告会社取締役Eから、D事務長に、原告のHIV抗体検査の申出があり、D事務長は、同月二九日、検査には、特に本人の同意を明確にとってもらうことが必要である旨、Bを通じてEに電話で申し入れていたのであるが、同月三〇日、市川東病院の職員で健康診断事務の担当であるFがBと話した際に、被告会社が原告の同意を得て検査依頼してきているものと誤解したのであった。また、検査結果票は、糊付けされており、そのままでは中を見ることはできず、前述のとおり、被告Aは、被告会社が原告の同意を得ているものと誤解していたために、これを被告会社に交付したのである。

被告Aは、被告会社担当者から、被告会社の新規労働者の中に勤務状況が極めて悪く健康状態に原因があると疑われる者がいるので、労働者の健康管理の一環として、一般健康診断のほかHIV抗体検査を実施してもらいたい、被告会社の職場の性格上、危険を伴う業務が存在し、労働者の健康状態を雇用主として知っておく必要がある、作業によっては出血をともなう怪我が生ずる危険性があり、HIV感染者には不向きな作業が存在するので、これを避けるためにもHIV抗体検査が必要であると聞いていた。したがって、被告Aに、被告会社が外国人労働者排除の目的で検査を行っているとの認識などなかった。

2  雇用契約上の権利を有する地位の確認及び賃金支払請求について

(被告会社の主張)

(一) 本件雇用契約による雇用期間は契約締結日から一年であり、契約期間終了後、一年毎に更新することができるが、更新を希望しないときは、相手方に二か月前までに通知すべきものとされている。被告会社は、平成一〇年七月一二日、原告に対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨の通知をなしたので、同年九月一六日の期間満了をもって本件雇用契約は終了した。

そして、原告は、時給契約者であり、現実の労務提供がない限り被告会社に賃金支払義務は発生しないところ、平成九年一二月一八日(一七日は休日である。)以降無断欠勤しているのであるから、同日から本件雇用契約の終了までの間、被告会社に賃金支払義務の発生はない。

(二) これに対し、原告は、被告会社と原告との間の契約が、期間満了後の雇用継続を合理的に期待させるようなものであり、信義則上更新拒絶が相当と認められるような事情はないから、更新拒絶は認められない旨主張するが、以下の事情からすれば、原告の主張は認められない。

(1) 雇用継続を合理的に期待させる事情のないこと

ア 日系ブラジル人は、一年前後の短期転職組や短期帰国組が多く、雇用契約を更新しても更新後一年間続かない者も少なくないのが実情である。すなわち、平成八年の採用者は一二名であったが、数か月内に転職又は帰国した者が五名、一年で会社が更新拒絶した者が三名(会社から更新拒絶を通知したところ、更新手続きをせずに一年を過ぎ、一年一か月後に退職した者が一名、同様に一年二か月後に退職した者が一名、一〇か月半で退職した者が一名)、一年後に契約更新をしたが、まもなく退職帰国して二年目の更新時期に至らなかった者が二名、二年後も契約更新し現に就業中の者が二名である。

イ 外国人就労希望者の来日のための旅費に関しては、旅行会社が希望者に対して旅費を貸与し、被告会社がその外国人の斡旋を受け、これを雇った場合には、旅行会社の有する旅費の返還請求権の譲渡を受けて、被告会社に旅費を返還させることはあるが、被告会社の制度として存在するものではない。

また、従業員の寮は、日本人、日系ブラジル人を問わず、通勤不可能者に対し、寮費徴収の上使用させている厚生施設であって、一年以上の勤務の期待の有無とは無関係である。

(2) 更新拒絶が相当と認められる特段の事情について

ア 原告は、極めて簡単な梱包作業と掃除以外はできず、作業中のミスも少なからずあり、無断欠勤があるほか、アレルギー体質ということもあってか通常人の耐えうる仕事にも容易に耐えられず、また交通事故を起こして欠勤するなど、被告会社における勤務評価は著しく低いものであった。

イ 平成九年当時、被告会社は、いわゆるリストラを考えざるを得ない状況に立ち至っており、原告はその対象者に組みいられていた。

被告会社では、平成九年には原告を含め三名を、平成一〇年には一名を、それぞれ採用したにすぎず、被告会社にリストラの必要があったことは明らかである。

(原告の主張)

(一) 雇用契約に期間の定めがあっても、期間満了後の雇用継続を合理的に期待させるような契約であれば、信義則上、更新拒絶が相当と認められる特段の事情がない限り、更新拒絶は認められない。

(二) 原告と被告会社との間の雇用契約は、以下のとおり、期間満了後の雇用継続を合理的に期待させるような契約であり、また、信義則上、更新拒絶が相当と認められる特段の事情はないから、更新拒絶は認められず、原告は、現在も被告会社に対して労働契約上の権利を有する地位にあり、被告会社は、その間の賃料の支払義務がある。

(1) 期間満了後の雇用継続を合理的に期待させる事情

ア 原告は、日系ブラジル人であって、ブラジル国籍を有し、母親の母国日本で就労することを目的として来日し、二年間の有効期間のある就労ビザを取得している。このビザは延長可能であり、原告は当初から可能な限り長く日本の会社で働く意図で、就職したのである。

イ 被告会社は、原告を含む日系ブラジル人の長期就労の意図を十分認識した上で、毎年四月に日系ブラジル人その他の労働者を大量に採用し続けてきた。また、ほとんどの日系ブラジル人に対して、被告会社は、来日するための旅費を出し、居住するための宿舎まで用意していた。以上のことからすれば、被告会社が、これらの労働者を一年で使い捨てるために雇い入れたとは考えられず、反復継続して雇用を続けることを予定していたのである。

ウ 被告会社の短期雇用労働者らは、仕事がきついために自己都合で退職する者以外は雇用を継続されていた。

(2) 更新拒絶が相当と認められる特段の事情のないこと

ア 原告は、被告会社の班長らからよく働いてくれると褒められていたにもかかわらず、被告会社が、原告の人格を踏みにじるような違法な無断検査を行った上、一方的に解雇したため、職場復帰を果たせなかったのであるから、原告の勤務態度に責められるべきものはない。

イ 被告会社は、平成八年度だけでも日系ブラジル人を一二名採用し、平成一〇年春には多くの日系ブラジル人を雇い入れており、被告会社にリストラの必要性があるという主張は成り立たない。

第三当裁判所の判断

一  情報プライバシー権侵害について

1  被告会社の責任について

(一) 証拠(甲二〇、二一の1・2、二二、二四、乙一六、証人B、証人G、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 被告会社が原告のHIV抗体検査を行った経緯

被告会社では、平成六年以前から、毎年春と秋の二回行う定期健康診断において、その年に新たに雇用したブラジル人従業員に限って、本人に知らせず、その同意を得ることもなく、市川東病院に依頼して、HIV抗体検査を行っていたが、原告以前には陽性の検査結果が出た者がいなかったため、右検査の事実や結果を従業員に知らせることもなかった。

平成九年一一月の定期健康診断においても、被告会社は、従前と同様、原告には秘したまま、その同意も得ないで、原告についてのHIV抗体検査を市川東病院に依頼した。そして同病院も、従前と同じように、被検査者である原告の意思を確認することなく、必要な採血をして、保健科学研究所にHIV抗体検査を依頼し、同研究所から送付を受けた検査結果票を被告会社に交付した。

(2) その後の被告会社の対応

ア 右交付を受けた検査結果票を開披して、原告の検査結果が陽性であることを知ったBは、同年一一月二八日、原告を事務所に呼び出して、原告に検査結果票を示した上、原告がHIV感染の事実を知っていたのか尋ね、原告が知っていた旨答えると、なぜ最初から言わなかったのかと責め、妻と相談のためにもブラジルに帰ったらどうかと勧めた。原告は、治療を受けている医師から、感染の事実を会社に告げる必要はないと言われている旨説明したが、ブラジルヘの帰国を促されたことから、解雇されるのかと思い、「クビか」と質問すると、Bはこれを肯定した。そのため、原告は、検査結果票を持って、新聞、テレビ、ブラジル領事館に行く旨申し述べたところ、Bは、検査結果票を原告から取り戻して、事務室から出て行き、しばらくして戻ると、原告に対し、全部忘れて仕事場に戻るよう指示した。

イ その後、原告は同年一二月五日まで通常どおり勤務したが、同月六日から一四日まで、前記交通事故による受傷のため欠勤した。そして、同月一五日の夜勤から仕事に戻り、翌一六日朝まで勤務してから事務所に行くと、Bに呼ばれ、最初は交通事故の内容について質問された後、同人から、今年は仕事があるが来年は不景気で仕事がないので辞めて欲しい、辞めて貰うのは原告だけではない旨告げられた。原告は、やはりHIV感染を理由に解雇されるものと思い、ID力ードをBに渡し部屋を出て、工場長やH次長に確かめようとしたが相手にされず、仕方なく帰宅した。その後、原告は被告会社に出勤しなかったが、被告会社からは出勤を促したり、欠勤理由の確認など何の連絡もなかった。

(二)(1) これに対し、被告会社は、原告に対するHIV抗体検査の目的は、工場での出血事故への対策や原告の健康状態への配慮からである旨主張するが、仮に出血事故への対策が目的であれば、日本人を含む全従業員を対象に、その目的を説明して同意を得た上で実施すれば良いことであって、ブラジル人従業員のみを対象に秘密裡に行う理由はなく、また原告がそのような出血事故の発生のおそれのある作業に従事する可能性のなかったことや、検査で陽性の結果が出た場合の対応についても事前には何も検討されていなかったこと、さらに原告のケースが本件訴訟という形で問題となった後は従業員に対するHIV抗体検査は一切行っていないこと(いずれも証人B)とも矛盾するといわざるを得ず、出血事故への対策のためとする被告会社の主張は認められない。

また、原告の健康状態に関しても、原告の平成九年一〇月二二日から二八日までの入院については、肺炎による旨の診断書が提出されており(甲二五の1・2)、同年一二月六日から一四日までの欠勤についても、事故により受傷した旨の診断書が提出されているのであるから(甲九の1・2)、それ以上にその健康状態を疑う理由はなく、ましてHIV感染の有無について検査をする必要性があったものとは到底認められない。

このように、被告会社によるブラジル人従業員に対するHIV抗体検査の実施について、格別合理的な理由が認められず、しかもそれが当該従業員本人に秘して行われてきたことや、陽性の結果が出た場合の就労を前提とした対応策について何ら検討がなされていないことなどからすれば、被告会社では、ブラジル人にはHIV感染者の比率が高いといった認識のもとに(証人B)、新規に雇用したブラジル人従業員についてのみ検査を実施して、陽性であった場合にはこれを会社から事実上排除しようとする意図の下にHIV抗体検査を行っていたものと推認できるのである。

(2) また、被告会社は、原告との雇用契約を解除した事実はなく、平成九年一二月一六日のBとの面接においては、原告が自から辞めると言って出て行き、その後無断欠勤を続けているものであると主張するのであるが、前記認定したBとの面接の経緯に関する原告の供述の内容は、言語の相違から多少大袈裟に表現していると思われる部分が存するものの、全体として具体的で真実味のあるものである上、前同日や同年一一月二八日の後にそれぞれ原告の様子を見、あるいは原告から相談を受けた母親のGの証言等や国立国際医療センターのコーディネーターのIの陳述書の記載内容とも合致していて、信用するに足るものであり、これに対し、Bの証言等は、同年一一月二八日の面接の目的に関し、原告にHIV抗体検査の結果を知らせて、他の医療機関で再検査を受けるように勧めるためであったとしながら、どのような再検査の方法があり、また受診可能な医療機関があるのかについて全く検討した形跡がなく、しかも妻との相談を理由にブラジルヘの帰国を促すなどしているのであり(被告会社と原告との雇用契約(甲五)においては、契約期間中に原告が帰国した場合、雇用契約は解除され退職したものとなる。)、また同年一二月一六日の面接についても、原告がリストラの対象となっていることを早期に知らせて、転職先を探させた方が原告のためになると考えてのことであるとするが、右の時点では、まだ原告がリストラの対象となることが確定していたわけではなく、しかもそのように事前に告知したのはひとり原告のみであったというのであって、リストラによる解雇という労働者にとって生活の基盤にかかわる重要な事実を未だ確定もしていないのに原告にのみ伝えるというのは不自然と考えられ、また、結果的にはリストラは実施されていないことや、原告が解雇されたものと誤解して出て行き、以後無断欠勤を続けているとしながら、何ら原告に連絡を取っていないことなどからすると、この点に関するBの証言や陳述書の記載は信用することができない。

(三) 右の事実によれば、被告会社は、従前から続けてきたのと同様に、日系ブラジル人で新規に雇用した原告につき、定期健康診断として本人に秘したままHIV抗体検査を無断実施し、その結果、原告のHIV感染の事実が判明したことから、それを理由に原告の退職を図って、当初は、感染事実の判明を契機にブラジルヘの帰国を促したが、原告が応じなかったため、不景気によるリストラを表面的な理由として原告を解雇したものと認めるのが相当である。

(四)(1) 証拠(甲一五、一六、一八、二二、二六)によれば、①HIV感染に関する情報は、個人の健康状態にかかわる極めて個人的な情報であり、また、エイズに対する理解が一般には未だ不十分、不正確な状況にあるため、本人が必要以上の不安を感じるだけでなく、周囲の人々の自分にも感染するのではないかという不安や、エイズヘの偏見もあって、HIV感染の事実が職場等で知られると、無用の混乱と不安を招くおそれのあることから、HIV感染の事実は個人の秘密として保護される必要があり、②HIV感染は、感染者の血液や性分泌物または母乳などHIVを含む体液が、粘膜表面に付着したり、皮膚の傷口などから体内に直接入ったりするなど、限られた場合にのみ生じるもので、日常の職場での生活ではHIVに感染することは考えられず、HIV感染者について別個の処遇をするような労働衛生管理上の必要性に乏しく、③HIVに感染していたとしても、エイズの症状が出るまでの潜伏期間は一〇年以上と非常に長く、しかもその期間は治療薬の進歩によってますます長くなっており、この間、感染者も健康な人と全く同じように日常生活や仕事を継続することができるのであるから、労働者の能力や適性とも一般的に無関係であることが認められる。

このように、個人のHIV感染に関する情報が保護されるべきであり、事業主においてその従業員についてHIV感染の有無を知る必要性は通常認められないことからすれば、事業主であっても、特段の必要性がない限り、HIV抗体検査等によりHIV感染に関する従業員個人の情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならず、右特段の必要性もないのにHIV抗体検査等を行うことはプライバシーの権利を侵害するものというべきである。仮に、事業主が、事業遂行のための労働衛生管理上の理由から、又は仕事に対する能力や適性判断のためなどから、HIV感染の有無に関する検査を必要とする場合であっても、HIV感染に関する情報保護の重要性に鑑みれば、右検査の必要性が合理的かつ客観的に認められなければならず、また、たとえ右検査の必要性が認められる場合であっても、検査内容とその必要性を本人にあらかじめ告知し、その同意を得た上で行われるべきであり、そのような必要性が認められず、あるいは必要性があっても本人の同意も得ずに右検査等を行うことは許されないというべきである。

(2) したがって、被告会社が、合理的かつ客観的な必要性もなく、かえって前述のような不当な意図の下に、原告にHIV抗体検査を行うことを知らせず、当然その同意を得ることもなく、市川東病院に右検査を依頼し、その結果の記載された検査結果票を受けとった行為は、従業員についてのHIV感染に関する個人情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならないという義務に違反し、原告のプライバシーを不当に侵害するものであるとともに、原告のHIV感染を実質的な理由としてなされた解雇も、正当な理由を欠くものであって、解雇権の濫用として無効というべきである。

(3) なお、被告会社は、その従業員についてHIV抗体検査を行う場合に、当該従業員の同意を要するか否かについて、市川東病院からの説明を誤解して、従業員の同意がなくても検査が可能であると認識していたとも主張するのであるが、その前記主張内容からは右のような誤解が生じるとは容易に首肯できないうえに、本件全証拠によっても右誤解のあった事実を認めるには足らず、また、平成七年二月二〇日には、労働省から「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」が出され、事業者は労働者に対してHIV抗体検査を行ってはならない旨明記されていることや(甲一五)、平成九年当時は、すでにHIVやエイズに関する社会的関心も高まり、その無断検査の不当性についての社会的認識も広まっていたことなどに鑑みれば、たとえ被告会社が本人の承諾がなくてもHIV抗体検査ができると誤解していたとしても、それはHIVやエイズ問題への無関心な態度として非難されるものであれ、被告会社の責任を緩和するものではない。

(五) 損害

以上のとおり、被告会社の行為によって、原告はそのプライバシーを侵害され、また不当に解雇されたものであり、これによって原告が多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、HIV感染の事実そのものはすでに原告は知っていたものであることを考慮すると、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料としては二〇〇万円が相当と認められる。

2  被告Aの責任について

(一) 前述したとおり、個人のHIV感染に関する情報が保護されるべきものであること、事業主にその従業員についてHIV感染の有無を知る必要性は通常認められず、必要性が認められる場合であっても本人の同意が必要と解されることからすれば、HIV抗体検査を実施する医療機関においては、たとえ事業主からの依頼があったとしても、本人の意思を確認した上でなければHIV抗体検査を行ってはならず、また、検査結果についても秘密を保持すべき義務を負っているものというべきであり、これに反して、本人の承諾を得ないままHIV抗体検査を行ったり、本人以外の者にその検査結果を知らせたりすることは、当該本人のプライバシーを侵害する違法な行為であると解すべきである。

(二) しかるに、前述のとおり、被告Aの経営する市川東病院では、被告会社の依頼に基づき、原告にHIV抗体検査をすることを告げず、原告の意思を確認することなく、原告から右検査のための血液を採取して、保健科学研究所にHIV抗体検査を依頼し、同研究所から送付を受けた検査結果票を被告会社に交付したものであって、その行為は医療機関として負っている前記義務に違反し、原告のプライバシーを侵害する違法な行為であると認められる。

(三) これに対し、被告Aは、D事務長がBを通じてEに対し、本人の同意を明確に取るよう申し入れていたことから、被告会社においてHIV抗体検査に関する原告の同意を得ているものと誤解していたために、あらためて原告の意思を確認せずに検査を行い、被告会社に検査結果票を交付した旨主張する。しかし、前述のように、市川東病院では、平成六年以前から、被告会社の依頼により、そのブラジル人従業員に対するHIV抗体検査を継続して行っていることからすれば、原告の場合について特にその同意を得るように求めたものとは首肯できず、またその立証もない。

さらに、医療機関は、その職務上知りえた受診者の医療情報に関して、秘密を保持し、受診者のプライバシーを保護すべき立場にあり、特にHIV抗体検査に関しては、検査自体に本人の同意があったとしても、その結果によっては本人に不安を抱かせ、精神的な混乱を生じさせるおそれのあることから、検査前及び結果通知時に、受診者がエイズや検査結果の意味について正しい理解を深められるように十分な説明を行い、必要に応じて受診者の悩みや不安をよく聞いて理解し、適切なカウンセリングを行うなどの特別な配慮が求められているのである(甲一五、一八、二二、二六)。また、本件においては、被告会社の業種からしてHIV抗体検査を行う必要性が当然にあるとはいえないこと、前記のとおり平成六年以前から、被告会社の依頼によりそのブラジル人従業員に対してのみHIV抗体検査を行ってきたことに鑑みれば、被告Aにおいて、被告会社がブラジル人従業員についてHIV抗体検査を行う必要性があるのか否か、また本人の同意を得た上で検査を依頼しているか否かは、いずれも疑わしいと判断できたものといえるのであって、たとえ本人の同意を得ていると誤解したとしても、あらためて本人にHIV抗体検査を行うことを知らせず、その意思を確認しないで右検査を行い、しかも本人以外の第三者たる被告会社に検査結果票を交付したことは、医療機関として配慮を欠いた行為であるというべきであり、被告Aに、原告の同意を得ているものとの誤解があったとしても、右誤解によりその責任が軽減されるものではない。

(四) 損害

被告Aの右行為により、原告はそのプライバシーを侵害され、これがもとで被告会社からの不当解雇等の問題が派生するなど、多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、前同様、HIV感染の事実は原告も知っていたことを考慮すると、右精神的苦痛に対する慰藉料としては一五〇万円が相当と認められる。

二  雇用契約上の権利を有する地位の確認請求について

1  前述したとおり、本件雇用契約は、契約期間を、契約締結日から一年間とし、右期間は、契約期間終了後、一年毎に更新することができるが、更新を希望しないときは、相手方に二か月前までに通知する旨の定めがある。

そして、右契約条項や、原告の場合は平成九年九月一七日に雇用契約を締結したばかりであって、まだ一度も契約は更新されていないこと、原告が従事していた作業の内容は、製品の梱包作業や巻き直し作業、清掃作業等の比較的軽易なものが主体で、長期間の継続した就労による技術の修得等を要するようなものではなかったこと(証人B、弁論の全趣旨)、原告以外の雇用契約が更新された従業員についても、その更新ごとに改めて雇用期間を一年間とする雇用契約書が取り交わされていること(乙一三の1ないし21)などからすれば、原告と被告会社間の本件雇用契約は、その内容のとおりに一年間を雇用期間と定め、更新されない限りはその期間の満了によって終了する性質のものであると認められるのである。

原告は、そうであっても、本件雇用契約には、期間満了後の更新を期待させる合理的な事情が存在したとして、原告は就労ビザを取得して長期就労の意思を有していたことや、旅費の負担、宿舎の用意等に関する主張をしているのであるが、そのような事情があるからといって、雇用契約の更新が当然に予定され期待できたものということはできず、また証拠(乙一二、一三の1ないし21、一四の1ないし13)によれば、被告会社において平成八年度以降採用した日系ブラジル人一六名のうち、現在も在職している者は僅か三名で、一年以上更新した者は右三名を含めて七名しかいないことが認められるのであって、このような雇用状況からしても、雇用期間満了後の更新が合理的に期待できたものとはいえず、他に雇用契約の更新を期待させる合理的な事情の存在は認められない。

2  被告会社は、平成一〇年七月一二日、原告に対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨通知しており、したがって同年九月一六日をもって被告会社と原告との間の本件雇用契約は終了したことが認められる。

三  賃金支払請求について

1  原告は、前述のとおり、被告の不当な解雇によって就労しえなかったのであるから、右就労不能は、使用者の責に帰すべきものというべきであり、原告には、本件雇用契約がその期間満了によって終了した平成一〇年九月一六日までの賃金請求権が認められる。

なお、平成一〇年二月二三日の本件訴訟の第一回口頭弁論期日において、右時点における原告の雇用契約上の権利を有する地位の確認請求を被告会社が認諾した事実が記録上明らかであるが、本件事案の内容や本件解雇に至る前記経緯、認諾をしながらも被告会社はその非を認めずに争っていた本件訴訟の経過等からすれば、右認諾によって原告の就労が可能になったものとは認められず、したがって右判断が妨げられるものではない。

2  そして、原告は少なくとも月額三一万円の給料の支払いを受けていたことが認められるから(甲一〇の1・2)、被告会社は、原告に対し、平成九年一二月分から平成一〇年九月分まで月額三一万円の割合による合計三一〇万円の賃金の支払義務が認められる。

第四結論

よって、原告の請求は、被告会社に対し五一〇万円及び内二〇〇万円に対する平成九年一二月一六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告Aに対し一五〇万円及びこれに対する同年一一月二八日から支払済みまで右同様年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却し、平成一二年一月二四日に終結した口頭弁論に基づいて、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤敏孝 裁判官 櫻井幹子)

裁判長裁判官 西島幸夫は、転補につき、署名押印することができない。 裁判官 伊藤敏孝

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